塾の現場では、子どもの受験であるにも関わらず、あたかもお母さんが受験するような感じになってしまっているケースが多いです。
いつの間にかお母さんが受験生みたいになってしまっているんですね。
子どもの問題が、自分の問題となってしまい、子どもと一体化してしまっているんですね。
幼児期では、子どもと母親が一体化していないと、子どもは生きていけません。
オギャーと泣いただけで、赤ちゃんが何を求めているのかがお母さんにはわかります。
子どもは母親との一体化で大きくなってきたのです。
この母子一体感覚を、子どもが中学生になっても、まだ引きずってしまっているんですね。
中学生くらいになれば、もう大人とのはざまの時期で、親離れの始まりです。
ですから母子一体感で子どもと接するべきではない時期に来ています。
たしかに、母子一体感覚でいかないと子どもが心配なのはわかります。
しかし、一生、子どもの問題を自分の問題として抱え続けることができるのでしょうか。
親が子どもについてあげられるのは、長い人生で一時的な期間でしかないのです。
就職しても結婚しても子どもと一体化し続けることはできないのです。
子どもが失敗しないように、先に先に障害物を除去してあげてるんでしょうけど、それに慣れてしまった子どもは自分で問題を解決する力がなくなってしまいます。
子どもには失敗する権利があります。
失敗することで、学んで成長していくのです。その機会を奪ってはいけません。
極端な話ですけど、子どもが結婚してから子どもの奥さんが熱い食べ物を出すときに「フーフー」してくれなかったと文句を言ったみたいな話がありました。
お母さんがなんでもやってあげてたんでしょうね。
「なんで僕の奥さんはやってくれないの?」と子どもはなってしまったのです。
なんでも母親が障害物を取り除いてくれていた子どもは、取り除いてくれない他人と一緒に暮らすと不満だらけになってしまいます。
また、母子一体感覚で接してしまうと、子どもに対してかなり厳しい対応をしてしまうこともありませんか。
「なんでこんなこともできないの!」
こんなフレーズ言ったことありませんか?
塾でもついつい言いそうになってしまうことがよくあります。
自分と一体化してしまっていると、このような厳しい発言がポロっと出てしまうんですね。
それで子どもは傷ついてしまう。
なんて僕はダメな人間なんだと。
家族に承認されないと、子どもは欲求不満になります。
前回の記事で集団欲求を満たすことが先決だということを書きました。
勉強で承認されないと病気になって承認してもらおうとさえしてしまうこともあるのです。
そしてそれが癖になると、大人になっても他者に承認されるように病気を装ったりすることになってしまうこともありえます。いわゆるメンヘラですね。
「死にたい」などといって「そんなこと言わないで」みたいな他者の反応を見るようなコミュニケーションを取ろうとするんです。
そうならないように、小さいときから子どもと一体化するのではなくて、離別感をもつよう心がけてください。
離別感をもって、一人の別人格として接すること。
その子の問題は、その子自身の問題であり、自ら成長することで解決していく問題なのです。
その成長のチャンスを奪わないように、離別感を合言葉に適度な距離感を保って接しましょう。
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